NHKは「敗訴」に襟を正せ 番組改編訴訟の東京高裁判決 池田龍夫(ジャーナリスト)
従軍慰安婦問題を取り上げたNHKテレビ「女性国際戦犯法廷」の番組内容改編をめぐる訴訟は、東京地裁に続き東京高裁で審理が続いていたが、1月29日、画期的な判決が下された。南敏文裁判長は、NHK幹部が放映前に安倍晋三氏(当時、官房副長官)らと面談した事実を示し、「政府・与党側の発言を必要以上に重く受け止め、NHKはその意図を忖度して番組を改編した」と初めて認定、NHKとNHKエンタープライズ、ドキュメンタリー・ジャパン(取材・制作会社)3社に200万円の賠償支払いを命じた。トラブルとなった背景を整理したうえで本訴訟の問題点を探っていきたい。
▽裁判の経緯
原告の市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク『バウネット』が2000年12月開催した「女性国際戦犯法廷」を、NHK教育テレビが01年1月30日流した放映内容に対する〝政治介入〟が発端。それから約4年経過した05年1月12日、朝日新聞朝刊が「政治の放送への介入」と報じて大問題になった。
そもそもNHKは、予算執行に国会承認が必要な公共放送のため政治権力の介入を受けやすいメディアで、「国会議員への説明」と称する業務報告が慣例化していた。中でも、今回の騒動は慰安婦問題だけに深刻であり、自民党国会議員が複数介在し、その中心的存在が安倍晋三、中川昭一両議員だった。「新しい歴史教科書を考える会」を支援する若手国会議員が「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成、慰安婦番組放映の頃は中川議員が同会会長、安倍議員が事務局長を務めていた。
「朝日vsNHK」がメディア界を揺さぶる事件に拡大したことは記憶に新しいが、〝政治介入〟のキーマンが、現在の実力者・安倍、中川両氏だった点に、今回の高裁判決の意義と重大性を特に感じるのである。
▽判決理由のポイント
「女性国際戦犯法廷」を主催したバウネットが提訴したのは、NHK側が放映直前に一方的に番組内容を改編し、バウネット側の「期待権」を踏みにじったからだ。1審の東京地裁は被告3社のうち孫請け制作会社の責任だけを認めたが、2審の東京高裁では「NHKと政治家の関係」を重視し、被告3社の責任を厳しく断じて損害賠償を命じた。その「判決理由」の中から、興味ある事実を指摘している個所を一部引用して参考に供したい。
[国会議員等との接触等]
01年1月25~26日ころ、担当者らは自民党の複数の国会議員を訪れた際、女性法廷を特集した番組を作るという話を聞いたがどうなっているのかという質問を受け、その説明をするようにとの示唆を与えられた。
26日ごろ、NHKの担当部長が安倍官房副長官(当時)と面談の約束を取り付け、29日、松尾武放送総局長らが面会。安倍氏は、いわゆる従軍慰安婦問題について持論を展開した後、NHKが求められている公正中立の立場で放送すべきではないかと指摘した。
[バウネット側の期待と信頼に対する侵害行為]
放送された番組は加害兵士の証言、判決の説明などが削除されたため、女性法廷の主催者、趣旨などを認識できず、素材として扱われているにすぎないと認められ、ドキュメンタリー番組などとは相当乖離している。バウネット側の期待と信頼に反するものだった。
01年1月24日の段階の番組内容は、バウネット側の期待と信頼を維持するものとなっていた。しかし、同月26日に普段番組制作に立ち会うことが予想されていない松尾総局長、野島直樹国会担当局長が立ち会って試写が行われ、その意見が反映された形で1回目の修正がされた。さらに修正版について現場担当者を外して松尾、野島両氏と伊東律子番組制作局長、吉岡民夫教養番組部部長のみで協議し、その指示でほぼ完成した番組になった。放送当日の30日に松尾放送総局長から「旧日本軍兵士と元慰安婦の証言部分の削除」が指示され、3分に相当する部分を削除して40分版の番組を完成されたことなどを考慮すると、同月26日以降、番組は制作に携わる者の制作方針を離れた形で編集されていったと認められる。
そのような経緯をたどった理由を検討する。本件番組に対して、番組放送前にもかかわらず、右翼団体などから抗議など多方面からの関心が寄せられてNHKとしては敏感になっていた。折しもNHKの予算につき国会での承認を得るために各方面への説明を必要とする時期と重なり、NHKの予算担当者や幹部は神経をとがらせていたところ、番組が予算編成などに影響がないようにしたいとの思惑から、説明のために松尾総局長や野島局長が国会議員との接触を図った。その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされたというもので、時期や発言内容に照らすと松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。
なお、原告らは政治家などが番組などに対して指示をし介入したと主張するが、面談の際、政治家が一般論として述べた以上に番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、証人らの証言によって認めるに足りない。
バウネット側は、中川昭一議員が事前にNHKに対し放送中止を求めたと主張し、同議員はフジテレビ番組でアナウンサーの質問に対し、放送法に基づき公正に行うべきことをNHKに申し入れたと発言するなど、事前のNHK担当者との接触をうかがわせる発言をしている。しかし、同議員はこのインタビューでは01年2月2日に会ったことを明言しており、同議員が番組放送前にNHK担当者に番組について意見を述べたことを認めることは困難だ。
[説明義務違反と不法行為] 番組制作者や取材者は特段の事情がある時に限り、内容や変更を取材対象者に説明する義務を負う。本件では、NHKは憲法で保障された編集の権限を乱用または逸脱して変更を行ったもので、自主性、独立性を内容とする編集権を自ら放棄したものに等しく、原告らに対する説明義務を認めてもNHKの報道の自由を侵害したことにはならない。被告が説明義務を果たさなかった結果、原告は番組からの離脱や善処申し入れの手段を取れなくなり、法的利益を侵害された。
NHKは番組改編を実際に決定して行い、放送したことから、原告の期待と信頼を侵害した不法行為責任を負い、説明義務を怠った責任も負う。NHKは制作担当者の方針を離れてまで国会議員の意向を忖度して改編し、責任が重大であることは明らかである。
▽NHKは判決をどう報じたか
NHK幹部が、国会議員らから有形無形の〝圧力〟を受け、番組改編に狂奔した経緯をリアルにたどった「判決理由」との思いを深めた。それだけに、「NHKと政治家の関係」に厳しく踏み込んだ意義は大きく、マスコミ報道に警鐘を鳴らす司法判断だった。NHKは、被告の立場を超えて東京高裁判決を真摯に受け止め、社内体制を改革して「報道の自由を守る」決意を表明すべきだったが、不名誉な高裁判決を報じたニュース(1・29夕)の冷淡な姿勢に驚いた。「即上告」を表明した当日のニュース全文を読んでいただきたい。
[NHKが判決直後に流したニュース]
6年前にNHKが放送した番組をめぐって、取材を受けた団体が「事前の説明と異なる不本意な番組を放送された」と訴えた裁判で、東京高等裁判所は「NHKの当時の幹部が、国会議員などの考えを、必要以上に受け止めて、番組を編集し直した結果、取材相手の期待に反した」と指摘して、NHKに200万円の賠償を命じました。
この裁判は、平成13年にNHKが教育テレビで放送した「戦争をどう裁くか」というシリーズの番組をめぐって、民間の団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワークが「事前の説明と異なる不本意な番組を放送された」として、NHKや番組制作会社などに損害賠償を求めたもので、1審は「編集の自由の範囲内だ」として、NHKへの訴えは退けました。しかし、東京高等裁判所の南敏文裁判長は「番組編集の自由は、憲法上尊重すべき権利で、不当に制限されてはならないが、今回の番組は、取材を受けた団体への事前の説明とかけ離れたものになって、期待と信頼に反した。放送前に十分な説明もしていなかった」と指摘しました。そして「国会議員が具体的に番組に介入したとは認められない」と述べました。しかし、「NHKの当時の幹部が、国会議員から一般論として公正・中立にと言われたことなどを、必要以上に重く受け止め、その考えを推し量って、番組を編集し直すよう指示したもので、編集権を乱用した責任は重い」と判断し、NHKに200万円の賠償を命じました。
判決について「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの西野瑠美子代表は「全面勝訴と言って良い内容で、NHKは判決に真摯に向き合ってほしい」と話しました。また、原告側の弁護士は「判決は編集権が憲法に保障されていると指摘する一方で、編集権は絶対的なものではなく、例外があると認めた画期的なものだ」としています。一方、判決についてNHKは「不当な判決であり 直ちに上告した。今回の番組の編集は、政治的に公平であることや、意見が対立している問題について、多くの論点を明らかにするという放送法の趣旨に則って行った。判決は、番組編集の自由を極度に制約するもので、到底受け入れられない」としています。
精緻な「判決理由」に比べ、被告NHKの〝他人事〟のような広報(ニュース)はひど過ぎないか。「不当な判決であり、直ちに上告した」と〝宣言〟した姿勢に、NHKの恐るべき体質を感じ取った視聴者は少なくなかったと思う。
▽安倍首相の自己弁護発言
[『政治家不介入、明確に』と安倍首相]=1・29夜の会見
政治家が介入していないという判決が明確に下された。向こう側(NHK)が会いたいと言ってきて、私はいつ放送するかも知らなかった。報道の自由を政治家は常に頭に入れなければならないが、「NHKに圧力をかけた」と言いながら(それが)間違っていたのだから、「間違っていた」と認めるのが、私は報道機関ではないかなと思います。(注=『朝日』批判)
〝灰色〟とはいえ、「NHKへの政治圧力」の一端が東京高裁判決で明らかにされたことは否定できまい。ところが、南裁判長が指摘した「NHKと政治家の関係」を真摯に受け止めず、「介入圧力がなかったことが証明された」と、胸を張って記者団に語る安倍首相には、判決の重大な意味を解する能力もないのだろうか。〝視野狭窄〟が怖ろしい。
今こそ、〝自己弁護〟〝自己防衛〟に汲々としている為政者の責任追及とともに 言論機関の姿勢を鮮明にすべきだと思う。 ▽「期待権」をめぐって…
今回の東京地裁判決で、「期待権」を条件付きで認めた点が注目されている。「将来一定の法律上の利益を受けられることを希望したり期待したりできる権利で、その権利が不法に侵害された場合に損害賠償が認められる」というが、その適用基準はまだ未整備のようだ。
今回の判決理由の中では「番組制作者の編集の自由と、取材者の自己決定権の関係は、取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して、取材者の言動などにより取材対象者が期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは、編集の自由も一定の制約を受け、取材対象者の番組内容に対する期待と信頼が法的に保護されるべきだ。ドキュメンタリージャパン(DJ)の担当者の提案表の写しを交付して説明した行為、バウネットとの協力などにかんがみれば、バウネット側が、番組は女性法廷を中心的に紹介し、法廷の冒頭から判決までを概観できるドキュメンタリー番組かそれに準ずるような内容となるとの期待と信頼を抱いたと認められる」として、「期待権」を法的権利と認めたのである。
この権利を侵害すれば不法行為となるが、判決理由で述べた「特段の事情が認められるとき」の判断基準が必ずしも明快でない気がする。飯田正剛・原告弁護団長が「政治家らが『期待権』を理由に取材・報道に介入してくる恐れはないか」との質問に対し、「両刃の側面、リスクがあるので、我々も『特段の事情』で(期待権が認められる)要件を絞る形で悪用を招かないよう注意してきた。判決も(期待権と報道の自由の)バランスを図りながら、ぎりぎりのところで法的救済を図った」と述べていた(毎日1.30朝刊)が、参考になる指摘である。
新聞各紙が「期待権」拡大解釈への懸念を表明していることは理解できるものの、「報道機関が真実追究の姿勢を堅持すれば、取材先と〝敵対関係〟になるはずがない」との毅然たる姿勢を持つことが先決と考える。NHKの番組改編も然ることながら、関西テレビの捏造番組を見せつけられては、視聴者がメディア不信に陥るのは当然なことだ。今回の東京高裁判決で指摘された「NHKによる期待権侵害や説明義務違反」は第一義的に、ジャーナリズムの倫理問題と受け止めるべきで、報道機関が襟を正すことこそ急務である。
▽判決に対する有識者の論評
NHK問題をめぐって論じてきたが、各新聞が掲載した有識者の論評を幾つか紹介しておきたい。
▼今回問題になった番組に出演し、改ざんを指摘してきた高橋哲哉・東大教授(哲学) 1審判決は、番組改編の責任が制作会社だけに推しつけられた奇妙な内容だったが、今回はNHK側が改編の主導権を果たしたと認められたので、その点は評価できる。NHK幹部は安倍晋三氏ら政治家の発言の意図を忖度し、編集権を乱用して制作現場に改編を迫った自主規制のもと、ジャーナリズムに照らして無残な番組を放映したことを厳しく受け止め、反省すべきだ。一方で政治家の発言が番組制作への介入、圧力になると認められなかったのは残念。もっと踏み込んでほしかった。
▼堀部政男・中央大法科大学院教授(情報法) 判決が、編集の自由を憲法上尊重されるべき権利とした点は重要だ。その上で、ニュース番組とドキュメンタリー番組を区別し、後者の場合、特段の事情があれば一定の制約を受けるとした。ただ、ドキュメンタリーでも取材対象者の意向を尊重しすぎると、結果的に編集の自由を制限することになりかねず、慎重な取り扱いが必要だ。
▼服部孝章・立大教授(メディア法) 放送法は「放送事業者は番組編集に当たり、政治的に公平であること」と定めている。しかし、NHKは予算への影響を意識して、国会議員に接触し、その発言に過剰反応して番組を改編した。その一方、取材対象者には必要な説明を怠ってきた。報道機関として、公正さや誠実さに欠ける行為で、判決がその点を明確に指摘した点は評価できる。
▼桂敬一・立正大講師(ジャーナリズム論) NHKの言い訳を認めた1審判決に対し、政治家に迎合して番組を改編したNHK本体の責任を認めた当然の判決。朝日新聞が「政治家の介入があった」と報じた後、問題を単なる「朝日対NHK」の構図に矮小化してしまった。しかし、控訴審判決は、メディアの独立性という最大の論点をあいまいにしてきた同業者の姿勢も裁いた、と言える。報道各社は、NHKと朝日新聞社のジャーナリズムの在り方が正しかったのか、再点検してほしい。
▼吉岡忍氏(作家) NHK本体の責任を重く見たのは当然だ。ドキュメンタリーは取材相手との信頼関係の上で作っていくもので、内容を変更するなら、途中で説明すべきだったことを知っていたはずで、無理に「編集権」を主張すべきではなかった。番組改編への政治家の介入については、NHK側も政治家側も裁判の経過でやり取りを明らかにしていない以上、判決で認定されなかったのはやむを得ない。本来なら政治家と会ったNHK幹部に、政治家が何を言ったのか、明らかにしてもらいたかった。メディアとしては、政治家の意向で番組を改編したという疑いを持たれただけでダメージが大きい。
▼右崎正博・独協大法科大学院教授(憲法) メディアは、当初伝えた趣旨に変更があった場合には取材相手に知らせ、再取材するなど対応が求められていることを認識すべきで、「期待権」を認めたのは妥当だ。ただ、取材対象が政治家などの公人の場合は免責される部分も多いだろうし、取材相手の期待が過度な場合もある。個別に判断すべきだ。 ▼津田正夫・立命館大教授(市民メディア論) 市民感覚から言えば、「期待権」は当然ある。普通の市民は、政治家やジャーナリストと違って公に発言する機会は少ないので、取材される側として説明を求めたり内容に期待したりするのは当然の防衛策だ。だからといって「期待権」がいつでも発生するとなると、政治家などに悪用される恐れもある。
▼川上和久・明治学院大教授(政治心理学) 「期待権」が認められたのは、公共放送だからこそ取材する素材には慎重になるべきだ、と裁判所が警鐘を鳴らした特殊なケースだろう。疑惑について取材を受けた企業などから「自分たちの言い分どおりに編集しろ」といわれるような問題に波及してしまうと、言論の自由を脅かす恐れがある。
▼原寿雄氏(元共同通信編集主幹) 説明責任を果たすべき立場の政治家や官僚など公人に対する取材にもこの理屈(期待権)が認められると、真実を追究するための取材に支障が出る恐れがある。
Thursday, May 24, 2007
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment