Thursday, May 24, 2007

NHKは「敗訴」に襟を正せ 番組改編訴訟の東京高裁判決

NHKは「敗訴」に襟を正せ 番組改編訴訟の東京高裁判決 池田龍夫(ジャーナリスト) 

従軍慰安婦問題を取り上げたNHKテレビ「女性国際戦犯法廷」の番組内容改編をめぐる訴訟は、東京地裁に続き東京高裁で審理が続いていたが、1月29日、画期的な判決が下された。南敏文裁判長は、NHK幹部が放映前に安倍晋三氏(当時、官房副長官)らと面談した事実を示し、「政府・与党側の発言を必要以上に重く受け止め、NHKはその意図を忖度して番組を改編した」と初めて認定、NHKとNHKエンタープライズ、ドキュメンタリー・ジャパン(取材・制作会社)3社に200万円の賠償支払いを命じた。トラブルとなった背景を整理したうえで本訴訟の問題点を探っていきたい。  

▽裁判の経緯   
原告の市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク『バウネット』が2000年12月開催した「女性国際戦犯法廷」を、NHK教育テレビが01年1月30日流した放映内容に対する〝政治介入〟が発端。それから約4年経過した05年1月12日、朝日新聞朝刊が「政治の放送への介入」と報じて大問題になった。   

そもそもNHKは、予算執行に国会承認が必要な公共放送のため政治権力の介入を受けやすいメディアで、「国会議員への説明」と称する業務報告が慣例化していた。中でも、今回の騒動は慰安婦問題だけに深刻であり、自民党国会議員が複数介在し、その中心的存在が安倍晋三、中川昭一両議員だった。「新しい歴史教科書を考える会」を支援する若手国会議員が「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成、慰安婦番組放映の頃は中川議員が同会会長、安倍議員が事務局長を務めていた。  

「朝日vsNHK」がメディア界を揺さぶる事件に拡大したことは記憶に新しいが、〝政治介入〟のキーマンが、現在の実力者・安倍、中川両氏だった点に、今回の高裁判決の意義と重大性を特に感じるのである。  

▽判決理由のポイント   
「女性国際戦犯法廷」を主催したバウネットが提訴したのは、NHK側が放映直前に一方的に番組内容を改編し、バウネット側の「期待権」を踏みにじったからだ。1審の東京地裁は被告3社のうち孫請け制作会社の責任だけを認めたが、2審の東京高裁では「NHKと政治家の関係」を重視し、被告3社の責任を厳しく断じて損害賠償を命じた。その「判決理由」の中から、興味ある事実を指摘している個所を一部引用して参考に供したい。   

[国会議員等との接触等]  
01年1月25~26日ころ、担当者らは自民党の複数の国会議員を訪れた際、女性法廷を特集した番組を作るという話を聞いたがどうなっているのかという質問を受け、その説明をするようにとの示唆を与えられた。  

26日ごろ、NHKの担当部長が安倍官房副長官(当時)と面談の約束を取り付け、29日、松尾武放送総局長らが面会。安倍氏は、いわゆる従軍慰安婦問題について持論を展開した後、NHKが求められている公正中立の立場で放送すべきではないかと指摘した。   

[バウネット側の期待と信頼に対する侵害行為] 
放送された番組は加害兵士の証言、判決の説明などが削除されたため、女性法廷の主催者、趣旨などを認識できず、素材として扱われているにすぎないと認められ、ドキュメンタリー番組などとは相当乖離している。バウネット側の期待と信頼に反するものだった。   

01年1月24日の段階の番組内容は、バウネット側の期待と信頼を維持するものとなっていた。しかし、同月26日に普段番組制作に立ち会うことが予想されていない松尾総局長、野島直樹国会担当局長が立ち会って試写が行われ、その意見が反映された形で1回目の修正がされた。さらに修正版について現場担当者を外して松尾、野島両氏と伊東律子番組制作局長、吉岡民夫教養番組部部長のみで協議し、その指示でほぼ完成した番組になった。放送当日の30日に松尾放送総局長から「旧日本軍兵士と元慰安婦の証言部分の削除」が指示され、3分に相当する部分を削除して40分版の番組を完成されたことなどを考慮すると、同月26日以降、番組は制作に携わる者の制作方針を離れた形で編集されていったと認められる。   

そのような経緯をたどった理由を検討する。本件番組に対して、番組放送前にもかかわらず、右翼団体などから抗議など多方面からの関心が寄せられてNHKとしては敏感になっていた。折しもNHKの予算につき国会での承認を得るために各方面への説明を必要とする時期と重なり、NHKの予算担当者や幹部は神経をとがらせていたところ、番組が予算編成などに影響がないようにしたいとの思惑から、説明のために松尾総局長や野島局長が国会議員との接触を図った。その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされたというもので、時期や発言内容に照らすと松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。   

なお、原告らは政治家などが番組などに対して指示をし介入したと主張するが、面談の際、政治家が一般論として述べた以上に番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、証人らの証言によって認めるに足りない。   

バウネット側は、中川昭一議員が事前にNHKに対し放送中止を求めたと主張し、同議員はフジテレビ番組でアナウンサーの質問に対し、放送法に基づき公正に行うべきことをNHKに申し入れたと発言するなど、事前のNHK担当者との接触をうかがわせる発言をしている。しかし、同議員はこのインタビューでは01年2月2日に会ったことを明言しており、同議員が番組放送前にNHK担当者に番組について意見を述べたことを認めることは困難だ。   

[説明義務違反と不法行為]  番組制作者や取材者は特段の事情がある時に限り、内容や変更を取材対象者に説明する義務を負う。本件では、NHKは憲法で保障された編集の権限を乱用または逸脱して変更を行ったもので、自主性、独立性を内容とする編集権を自ら放棄したものに等しく、原告らに対する説明義務を認めてもNHKの報道の自由を侵害したことにはならない。被告が説明義務を果たさなかった結果、原告は番組からの離脱や善処申し入れの手段を取れなくなり、法的利益を侵害された。   

NHKは番組改編を実際に決定して行い、放送したことから、原告の期待と信頼を侵害した不法行為責任を負い、説明義務を怠った責任も負う。NHKは制作担当者の方針を離れてまで国会議員の意向を忖度して改編し、責任が重大であることは明らかである。  

▽NHKは判決をどう報じたか   
NHK幹部が、国会議員らから有形無形の〝圧力〟を受け、番組改編に狂奔した経緯をリアルにたどった「判決理由」との思いを深めた。それだけに、「NHKと政治家の関係」に厳しく踏み込んだ意義は大きく、マスコミ報道に警鐘を鳴らす司法判断だった。NHKは、被告の立場を超えて東京高裁判決を真摯に受け止め、社内体制を改革して「報道の自由を守る」決意を表明すべきだったが、不名誉な高裁判決を報じたニュース(1・29夕)の冷淡な姿勢に驚いた。「即上告」を表明した当日のニュース全文を読んでいただきたい。  

[NHKが判決直後に流したニュース]  
6年前にNHKが放送した番組をめぐって、取材を受けた団体が「事前の説明と異なる不本意な番組を放送された」と訴えた裁判で、東京高等裁判所は「NHKの当時の幹部が、国会議員などの考えを、必要以上に受け止めて、番組を編集し直した結果、取材相手の期待に反した」と指摘して、NHKに200万円の賠償を命じました。  

この裁判は、平成13年にNHKが教育テレビで放送した「戦争をどう裁くか」というシリーズの番組をめぐって、民間の団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワークが「事前の説明と異なる不本意な番組を放送された」として、NHKや番組制作会社などに損害賠償を求めたもので、1審は「編集の自由の範囲内だ」として、NHKへの訴えは退けました。しかし、東京高等裁判所の南敏文裁判長は「番組編集の自由は、憲法上尊重すべき権利で、不当に制限されてはならないが、今回の番組は、取材を受けた団体への事前の説明とかけ離れたものになって、期待と信頼に反した。放送前に十分な説明もしていなかった」と指摘しました。そして「国会議員が具体的に番組に介入したとは認められない」と述べました。しかし、「NHKの当時の幹部が、国会議員から一般論として公正・中立にと言われたことなどを、必要以上に重く受け止め、その考えを推し量って、番組を編集し直すよう指示したもので、編集権を乱用した責任は重い」と判断し、NHKに200万円の賠償を命じました。  

判決について「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの西野瑠美子代表は「全面勝訴と言って良い内容で、NHKは判決に真摯に向き合ってほしい」と話しました。また、原告側の弁護士は「判決は編集権が憲法に保障されていると指摘する一方で、編集権は絶対的なものではなく、例外があると認めた画期的なものだ」としています。一方、判決についてNHKは「不当な判決であり 直ちに上告した。今回の番組の編集は、政治的に公平であることや、意見が対立している問題について、多くの論点を明らかにするという放送法の趣旨に則って行った。判決は、番組編集の自由を極度に制約するもので、到底受け入れられない」としています。   

精緻な「判決理由」に比べ、被告NHKの〝他人事〟のような広報(ニュース)はひど過ぎないか。「不当な判決であり、直ちに上告した」と〝宣言〟した姿勢に、NHKの恐るべき体質を感じ取った視聴者は少なくなかったと思う。  

▽安倍首相の自己弁護発言  
[『政治家不介入、明確に』と安倍首相]=1・29夜の会見  
政治家が介入していないという判決が明確に下された。向こう側(NHK)が会いたいと言ってきて、私はいつ放送するかも知らなかった。報道の自由を政治家は常に頭に入れなければならないが、「NHKに圧力をかけた」と言いながら(それが)間違っていたのだから、「間違っていた」と認めるのが、私は報道機関ではないかなと思います。(注=『朝日』批判)   

〝灰色〟とはいえ、「NHKへの政治圧力」の一端が東京高裁判決で明らかにされたことは否定できまい。ところが、南裁判長が指摘した「NHKと政治家の関係」を真摯に受け止めず、「介入圧力がなかったことが証明された」と、胸を張って記者団に語る安倍首相には、判決の重大な意味を解する能力もないのだろうか。〝視野狭窄〟が怖ろしい。  

今こそ、〝自己弁護〟〝自己防衛〟に汲々としている為政者の責任追及とともに 言論機関の姿勢を鮮明にすべきだと思う。  ▽「期待権」をめぐって…   

今回の東京地裁判決で、「期待権」を条件付きで認めた点が注目されている。「将来一定の法律上の利益を受けられることを希望したり期待したりできる権利で、その権利が不法に侵害された場合に損害賠償が認められる」というが、その適用基準はまだ未整備のようだ。  

今回の判決理由の中では「番組制作者の編集の自由と、取材者の自己決定権の関係は、取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して、取材者の言動などにより取材対象者が期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは、編集の自由も一定の制約を受け、取材対象者の番組内容に対する期待と信頼が法的に保護されるべきだ。ドキュメンタリージャパン(DJ)の担当者の提案表の写しを交付して説明した行為、バウネットとの協力などにかんがみれば、バウネット側が、番組は女性法廷を中心的に紹介し、法廷の冒頭から判決までを概観できるドキュメンタリー番組かそれに準ずるような内容となるとの期待と信頼を抱いたと認められる」として、「期待権」を法的権利と認めたのである。   

この権利を侵害すれば不法行為となるが、判決理由で述べた「特段の事情が認められるとき」の判断基準が必ずしも明快でない気がする。飯田正剛・原告弁護団長が「政治家らが『期待権』を理由に取材・報道に介入してくる恐れはないか」との質問に対し、「両刃の側面、リスクがあるので、我々も『特段の事情』で(期待権が認められる)要件を絞る形で悪用を招かないよう注意してきた。判決も(期待権と報道の自由の)バランスを図りながら、ぎりぎりのところで法的救済を図った」と述べていた(毎日1.30朝刊)が、参考になる指摘である。  

新聞各紙が「期待権」拡大解釈への懸念を表明していることは理解できるものの、「報道機関が真実追究の姿勢を堅持すれば、取材先と〝敵対関係〟になるはずがない」との毅然たる姿勢を持つことが先決と考える。NHKの番組改編も然ることながら、関西テレビの捏造番組を見せつけられては、視聴者がメディア不信に陥るのは当然なことだ。今回の東京高裁判決で指摘された「NHKによる期待権侵害や説明義務違反」は第一義的に、ジャーナリズムの倫理問題と受け止めるべきで、報道機関が襟を正すことこそ急務である。  

▽判決に対する有識者の論評   
NHK問題をめぐって論じてきたが、各新聞が掲載した有識者の論評を幾つか紹介しておきたい。  

▼今回問題になった番組に出演し、改ざんを指摘してきた高橋哲哉・東大教授(哲学) 1審判決は、番組改編の責任が制作会社だけに推しつけられた奇妙な内容だったが、今回はNHK側が改編の主導権を果たしたと認められたので、その点は評価できる。NHK幹部は安倍晋三氏ら政治家の発言の意図を忖度し、編集権を乱用して制作現場に改編を迫った自主規制のもと、ジャーナリズムに照らして無残な番組を放映したことを厳しく受け止め、反省すべきだ。一方で政治家の発言が番組制作への介入、圧力になると認められなかったのは残念。もっと踏み込んでほしかった。 
 
▼堀部政男・中央大法科大学院教授(情報法)  判決が、編集の自由を憲法上尊重されるべき権利とした点は重要だ。その上で、ニュース番組とドキュメンタリー番組を区別し、後者の場合、特段の事情があれば一定の制約を受けるとした。ただ、ドキュメンタリーでも取材対象者の意向を尊重しすぎると、結果的に編集の自由を制限することになりかねず、慎重な取り扱いが必要だ。  

▼服部孝章・立大教授(メディア法)  放送法は「放送事業者は番組編集に当たり、政治的に公平であること」と定めている。しかし、NHKは予算への影響を意識して、国会議員に接触し、その発言に過剰反応して番組を改編した。その一方、取材対象者には必要な説明を怠ってきた。報道機関として、公正さや誠実さに欠ける行為で、判決がその点を明確に指摘した点は評価できる。  

▼桂敬一・立正大講師(ジャーナリズム論)  NHKの言い訳を認めた1審判決に対し、政治家に迎合して番組を改編したNHK本体の責任を認めた当然の判決。朝日新聞が「政治家の介入があった」と報じた後、問題を単なる「朝日対NHK」の構図に矮小化してしまった。しかし、控訴審判決は、メディアの独立性という最大の論点をあいまいにしてきた同業者の姿勢も裁いた、と言える。報道各社は、NHKと朝日新聞社のジャーナリズムの在り方が正しかったのか、再点検してほしい。  

▼吉岡忍氏(作家)  NHK本体の責任を重く見たのは当然だ。ドキュメンタリーは取材相手との信頼関係の上で作っていくもので、内容を変更するなら、途中で説明すべきだったことを知っていたはずで、無理に「編集権」を主張すべきではなかった。番組改編への政治家の介入については、NHK側も政治家側も裁判の経過でやり取りを明らかにしていない以上、判決で認定されなかったのはやむを得ない。本来なら政治家と会ったNHK幹部に、政治家が何を言ったのか、明らかにしてもらいたかった。メディアとしては、政治家の意向で番組を改編したという疑いを持たれただけでダメージが大きい。  

▼右崎正博・独協大法科大学院教授(憲法)  メディアは、当初伝えた趣旨に変更があった場合には取材相手に知らせ、再取材するなど対応が求められていることを認識すべきで、「期待権」を認めたのは妥当だ。ただ、取材対象が政治家などの公人の場合は免責される部分も多いだろうし、取材相手の期待が過度な場合もある。個別に判断すべきだ。  ▼津田正夫・立命館大教授(市民メディア論)  市民感覚から言えば、「期待権」は当然ある。普通の市民は、政治家やジャーナリストと違って公に発言する機会は少ないので、取材される側として説明を求めたり内容に期待したりするのは当然の防衛策だ。だからといって「期待権」がいつでも発生するとなると、政治家などに悪用される恐れもある。  

▼川上和久・明治学院大教授(政治心理学)  「期待権」が認められたのは、公共放送だからこそ取材する素材には慎重になるべきだ、と裁判所が警鐘を鳴らした特殊なケースだろう。疑惑について取材を受けた企業などから「自分たちの言い分どおりに編集しろ」といわれるような問題に波及してしまうと、言論の自由を脅かす恐れがある。  

▼原寿雄氏(元共同通信編集主幹)  説明責任を果たすべき立場の政治家や官僚など公人に対する取材にもこの理屈(期待権)が認められると、真実を追究するための取材に支障が出る恐れがある。

放送法改正案:あす審議入り 政府介入で萎縮、懸念--広瀬道貞・民放連会長に聞く

◇国会に呼ばれたら反対表明
放送番組の内容に対する新たな行政処分を盛り込んだ放送法改正案が22日、衆院本会議で審議入りする。法案は、放送介入との批判が強い。日本民間放送連盟(民放連)会長を務める広瀬道貞・テレビ朝日会長は毎日新聞のインタビューに応じ、「国会審議に呼ばれれば、反対を表明するつもりだ」と明言した。総務省が、放送局に対して行政指導する際の放送法の根拠条文の範囲を広げている動きと併せて報告する。【臺宏士】

--放送法改正案の問題点は何でしょうか。
◆広瀬氏 本来、自由であるべきメディアの表現の自由が阻害されかねない。あいまいな表現が多く、あらゆる放送番組に総務大臣が介入し得る道を開く。法解釈を政府が決めて関与すると放送事業全体が萎縮(いしゅく)する。

--具体的にはどんな影響がありますか。
◆広瀬氏 政治問題に口を挟まれれば、民主主義を阻む。エンターテインメントならば、制作者らの創意工夫を萎縮させ、お茶の間の楽しみを奪う。政府の関与はできるだけ避けるべきで、番組に注文があるのであれば、放送事業者がつくる仕組みに委ねるべきだと主張してきた。報道が真実かどうかはメディア同士の取材合戦などによって担保されるべきだ。公権力によって確保されるものではない。

--菅義偉総務相は、放送界の第三者機関である「放送倫理・番組向上機構」(BPO)が機能している間は権限を発動しない、「抜かずの宝刀」だと言っています。
◆広瀬氏 大臣が代われば、解釈が変わることもあり得る。抜かずの宝刀ならば、何らかの形で法案に明記すべきだ。法案に書かれれば、大半の問題は解決されると思う。言葉だけでは到底、受け入れられない。国会審議で参考人として呼ばれれば、法案に反対の意見を述べたいと思う。

--BPO内に番組内容を調査する放送倫理検証委員会が発足し、会長は、「出直し的な改革」を打ち出しました。
◆広瀬氏 この1年だけをみても、おわびに至るケースがどの局も多かった。情報系のバラエティー番組が増え、バラエティーだから表現も相当許容されるという意識があったかもしれない。情報系と売り出す以上、きちっとしなければならなかった。脇が甘かった。民放連では、特定の番組が放送界全体の信頼を傷つけることに対して議論する場所がなかった。関西テレビによる番組ねつ造は起こるべくして起きた。ここで対応しなければ放送界の将来はない。

--総務省は、行政指導する根拠条文を拡大しています。
◆広瀬氏 番組に対する評価が視聴者と放送事業者との間で開きがあると、政府は口を出したくなるのだろう。放送法の規定は抽象的で線引きが難しいが、疑わしきものは調査していく。BPOがうまく機能し、権威あるものになれば、その対応を待とうということになるだろう。総務省は、何かあると放送法を盾に呼びつけてきたが、もう控えてほしい。名誉を回復する番組を放送するなどして決着したことに対して、さらに行政指導するのはおかしなことだ。

--放送行政は総務大臣ではなく、独立行政委員会が所管すべきだという意見があります。
◆広瀬氏 独立行政委員会なら放送内容に多少厳しいことを言ってもよいというものではない。番組内容についてはBPO的な組織に任せるのが最も進んだ知恵だ。

◇「放送法3条の3」、根拠条文を拡大--事業者へ行政指導、急増
総務省は、90年代半ばから政治的公平などを定めた「放送法3条の2」を根拠に番組への行政指導を強めてきた。番組基準を定めることを規定した「放送法3条の3」に違反したことを理由に放送事業者に厳重注意や警告などの行政指導をした件数は、03年度、04年度は各1件だった。06年度に6件に急増。07年度は早くも3件を数える。

昨年8月のTBSのケースでは、旧日本軍の「731部隊」を取り上げた報道番組で、記者が社内で電話取材している様子を撮影した際に、安倍晋三官房長官(当時)らの写真パネルが映った。TBSは、自社の放送基準の中で民放連の放送基準を準用することを規定。同基準には「名誉を傷つけないようにする」とある。同省は「チェック体制に遺漏があった」とし、厳重注意した。

また、TBSは今年1月、情報番組で、不二家の衛生管理について10年以上前の従業員の証言をもとに「期限切れのチョコレートを溶かして牛乳と混ぜていた」などと報じた。TBSは「牛乳のような何か、との証言を断定したのは誤りだった」として、4月に番組内で「誤解を招きかねない内容だった」と謝罪した。

同省は「事実を意図的に曲げたものではないが、若干の過剰な演出があった」として厳重注意した。行政指導が増えている点について、同省は「適用基準を変えて厳しく対応しているわけではない」とコメントする。

同じようなケースでも、自社基準が存在しなければ、総務省は行政指導を見送っている。昨年、1秒間に3回を超えて光を点滅させる映像手法を使った通販番組に関して、同省は、民放や衛星放送事業者については、民放連が作っているガイドラインなどに抵触したとして注意した。ところが、同じ番組を放送したCATV事業者には行政指導しなかった。業界にガイドラインがなかったためだ。

ガイドラインを作って対応している事業者の方が、それを根拠に行政指導を受けるちぐはぐな実態には、専門家の間にも批判が出た。これに対し、同省は、ガイドラインの作成を日本ケーブルテレビ連盟に要請。既に作成されており、指導を強める姿勢だ。

◇威嚇範囲が広い--清水英夫・青山学院大名誉教授の話
「放送法3条の2」は、倫理規定だというのが旧郵政省の認識だった。このため、同条を根拠にした警告や厳重注意などの行政指導は控えてきた。倫理規定ゆえに学説でも合憲派が多数で、かろうじて違憲性を免れていた。

番組基準を定めることを求めた「3条の3」に基づいた行政指導ができないというのは言わずもがなで、議論さえされてこなかった。だからこそ、事細かく書き込んであるが、これを基にした行政指導は「3条の2」と比べ、ずっと威嚇できる範囲が広く、問題だ。

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 ◆行政指導・関係条文
 ◇放送法3条の2
 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 1 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 2 政治的に公平であること。
 3 報道は事実をまげないですること。
 4 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
 ◇放送法3条の3
 放送事業者は、放送番組の種別及び放送の対象とする者に応じて放送番組の編集の基準(以下「番組基準」という。)を定め、これに従って放送番組の編集をしなければならない。
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 ◆「放送法3条の3」に基づき行政指導した事例◆
04年3月 日本テレビ「踊る!さんま御殿!」「マネーの虎」(厳重注意)
05年3月 日本テレビ「カミングダウト」(同)
06年6月 TBS「ぴーかんバディ!」(警告)▽NHK「スーパーライブ」(厳重注意)▽テレビ東京「セサミストリート」など(同)▽岐阜放送「通販番組」「CM」(同)▽民放76社「通販番組」「CM」(注意)
   7月 衛星放送事業者26社「通販番組」(注意)
   8月 TBS「イブニング・ファイブ」(厳重注意)
07年2月 ジュピターサテライト放送「通販番組」(注意)▽インタラクティーヴィ「同」(同)
   3月 関西テレビ「発掘!あるある大事典2」(警告)
   4月 テレビ信州「ゆうがたGet!」(口頭注意)▽テレビ東京「今年こそキレイになってやる!正月太り解消大作戦」(口頭注意)▽TBS「人間!これでいいのだ」「みのもんたの朝ズバッ!」(厳重注意)
毎日新聞 2007年5月21日 東京朝刊

Tuesday, May 08, 2007

メディアは変わるか<下> 放送と通信の融合加速

楽天が四月、TBS株の買い増しを表明し、両社の間で緊張が再び高まっている。楽天がTBSに急接近する背景には、株価を上げる一方、デジタルビジネスを広げていく狙いもありそうだ。放送と通信の融合が世界的な広がりを見せる中、楽天は今、何をしようとしているのか。慶応大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構(DMC)の中村伊知哉教授に聞いた。(小田克也)

――楽天がTBSに攻勢を強めているが。

「楽天が二〇〇五年にTBSの株を持ちだしたころから、放送と通信の融合はかなり進んだ。今回の楽天の動きは株価を上げるだけでなく、ビジネスをつくろうとしているのかもしれない」
 
――楽天は危機感を持っているのか。
 
「デジタルビジネスの動きは速い。放っておけば海外の動きにのみ込まれる。そんな危機感があるのでは」
 
――海外にのみ込まれるとは。
 
「ここ一、二年、米国では動画投稿サイトのユーチューブはじめ、アマゾンやグーグルが盛んにビジネス展開し、日本でも価格コムやアットコスメが出てきた。いわゆるネット利用者の参加型ビジネスだ。これに楽天がどう取り組んでいくかが一つのポイント。もう一つは、本筋である放送と通信の融合がかなり進んでいることだ」

――楽天にとってユーチューブは脅威か。
 
「ユーチューブは一種の広告市場になっている。ユーチューブで『松坂』と検索すると、米大リーグ・レッドソックスの松坂大輔投手の試合のテレビ放送を、誰かがクリップして送ってきている。日本のドラマやアニメなども見られる。僕がスポンサーなら、日本のテレビ局に何十億円の広告料を払うより、ユーチューブに出すだろう」

――楽天は、ユーチューブなどと競争し、広告を取らないといけない。

「そういうことだ。昨年の日本の広告費は、インターネットが三千六百億円で、雑誌とほぼ並んだ。新聞一兆円、テレビ二兆円市場を抜くのは五年後、七年後などといわれる。それくらい差し迫っている。どうやって広告を取るか。楽天の危機感は強いはずだ」

――放送と通信の融合をめぐる動きは活発なのか。

「すごく動いている。昨年一月、場面が変わった。ヤフーやグーグル、アップルコンピュータ、マイクロソフトなどが一斉に映像配信ビジネスをやると宣言した。それまで融合の主役は、通信会社のAT&Tとかメディア企業のタイムワーナーだったが、ITの会社になった」

――日本は遅れていると。

「楽天、TBSとかライブドア、フジテレビとか動きは出てきたが、本格的なビジネスとして立ち上がっていない。政府は著作権の問題を片付けようとか議論しているが、ビジネスモデルをつくれていない。だから民間は焦らざるを得ない」

――厳しい競争の中で楽天は、まずTBSの番組などのコンテンツを押さえようとしている。

「最初はそうだったと思うが、それがベストな戦法なのかどうか。というのも、ユーチューブのような新しいビジネスが出てきており、楽天のサイトでTBSのコンテンツをそのまま流しても商売になりにくい。だから一緒にコンテンツをつくろうとしているのでは」

――例えば楽天のサイトでTBSドラマのアニメ版をやるとか。他のサイトで見られないコンテンツを流せば利用者は喜ぶはずだ。

「そうだ。楽天がその具体的なメリットをTBSに示せれば、TBSも乗ってくると思う。だが多分、それはみんな、つくれていない。世界的にも放送局と通信会社が組んでうまくいった事例はまだない」

――そもそも、TBSに接近する楽天の戦略は妥当なのか。

「米国ではCBSもNBCもコンテンツを持っていない。持っているのはハリウッドの映画会社だったりする。日本の場合はテレビ局に集中しており、テレビと何かやろうするのは手法として間違っていないと思う」

メディアは変わるか<中> 公共放送の再生へ

一連の不祥事を受けて改革を進めるNHK。その一環として昨年九月には、トヨタ自動車から金田新・専務をNHK理事に迎えた。経営の手本といわれるトヨタの気風を取り入れて体質改善を進めたいところだが、“官僚的”などとやゆされるNHKは、金田氏の目にどのように映ったのだろう。理事就任から半年余を振り返りながら問題点を語ってもらった。 (小田克也)
 
――NHKにおける自らの役割は。
「僕はNHKの人間ではない。職員と同じことを言えても貢献できない。違うことを言うのが役目だ。『和して同ぜず』というところかな」

――局内で日々、感じていることは。

「トヨタには『現地現物』という言葉がある。『現地で現物を見て判断しなさい。紙の上で判断していたら間違う』という意味だ。だから僕も三分間でもいいから番組を作らせて、と頼んでいるのだが…。抽象論で『公共を担う』と言っても何も分からない」
 
――NHKは不祥事が相次いだ。

「制度疲労があったのは事実。直さないといけない。制度だけでなく、人を動かす情念みたいなものも経営が責任を負うべきだ」
 
――職員をしっかり教育すべきだと…。
 
「成功体験を積み重ねることだ。日本人はほめられて伸びる人が多い」

――NHKが改善していくべきところは。

「新陳代謝はもっとしたほうがいい。若干、ゴムが伸びきった感じがする。疲弊しているというか…。一九八〇年当時は、関連団体を含めて一万八千四百人の規模だった。それでテレビは一週間当たり百七十一時間を送出していた。ところが今は一万七千百人ちょっと。それで昨年は六百五十時間もこなしている。どうやって力をためて番組制作に持っていくかだ」

――NHKを取り巻く環境も変わってきているのか。

「国際環境が激変している。一九八九年にベルリンの壁が落ち、一気に市場経済が出てきた。それは現在進行形で、その中でCNNはグローバル発信し、フランス24は、オピニオンリーダーのための放送だと言っている。一方、アルジャジーラはアラブの見方を提供し、中国中央テレビ(CCTV)もある。このように発信しだしているのは、国際社会の潮流の変化と無関係ではない」

――インターネットも普及している。

「技術の変化は大きい。若い人はユーチューブ(米国の動画投稿サイト)を見ている。映像も質が悪く、短いが、若い人は結構楽しんでいる。こういう環境変化の中で公共放送を担うことの意味も変わってきていると思う」

――NHKは大きく変わる環境にどう対応すればいいのか。トヨタに見習うところは。

「トヨタは創業理念について、大いに発言している。英訳もしており、一つの宗教のように外国に行って話している。自分の思うことを発信しようとする意欲、その結果についての自己責任、それは強烈なものがある」

――そのへんがNHKには足りない。

「法律がガバナンス(企業統治)を決めているという意味で、NHKは日銀と同じ。ただ法律を人から与えられたものでなく、自分のものにして、活性化し、発信していくことはできる。NHKは放送するのだから、まさに発信そのもの。放送記念日の特集番組など最近は、だいぶやっているが…」

――自らの仕事で、今後の課題は。

「声なき声を含め、視聴者がNHKに何を問いかけているか。それをまとめられないか、と考えている」

――声なき声をつかまえるのは難しいと思うが。

「でも革新的とは、そういうものだ。例えばiPod(アイポッド)なんかそうだ。『こういうものをつくってほしい』と言った人はいない。『こういうものがほしかった』と多くの人が言ったわけで、NHKが、そうした革新の担い手として、視聴者の期待に応えられれば、と思う」

メディアは変わるか<上>番組不祥事の防止へ 外部から人材登用を

今年に入り、放送界は情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造(ねつぞう)問題で大きく揺れた。また一連の不祥事を受けてNHKの改革も進んでいる。一方、四月には楽天がTBS株の買い増しを表明するなど「放送と通信の融合」も再びクローズアップされている。こうした動きを受けてメディアは変わっていくのだろうか、放送や通信の専門家に話を聞きながら考えてみたい。初回は、英国放送協会(BBC)に勤務した経験のある慶大法学部講師の原麻里子さんに、日本のテレビ局の現状をどう見ているか聞いた。(小田克也)

――「あるある~」のような問題はイギリスの放送界でも起きたことがあるのか。

「聞いたことがない。BBCは、番組の捏造などが起きにくい放送体制といえる。例えば報道番組。日本ではアナウンサーがニュースを読むことが多い。だがBBCでは、記者リポートがほとんどで、画面上も取材者が明らかになる。他のスタッフが関係することによる情報の誤りや捏造などの防止につながっているのではないか」

――BBCはコンプライアンス(法令順守)や内部統制も強化しているのか。

「日本では、大半の放送局が、編集ガイドラインを公表していない。だがBBCは、編集ガイドラインなどが公開され、インターネットで読める。規定を公表するのは、情報公開に加えて、自らの立場を守る意味もある。つまり何か起きたとき『規定には、こう定められている。それを自分たちは破っていない』と主張できる」

――BBCのガイドラインの特徴は。

「イラク戦争のときの情報操作疑惑報道の一件(注)で厳しくなった。速さより正確さが大事で、CNNに後れを取ってもいいじゃないか、と…。また、正当性を証明するため、取材時の録音の徹底もうたっている」

――日本とイギリスでは、テレビ局の組織体制も違うのか。

「BBCの現会長は、民放トップを務めたこともあり、BBC一筋ではない。つまり組織の中で、人が頻繁に入れ替わる。例えば、NPO法人にいて、アフリカで働いていた二十七歳の人が入局してくるとか…」

――日本の場合、テレビ局の政治部長や社会部長は多くが生え抜きだ。こうした部長クラスも他社から来るのか。

「そう。BBCには有名な雑誌『エコノミスト』や新聞社、そして民放からもくる。人が入れ替わるので、組織の腐敗、ひいては不祥事が起きにくい。職員は職場を変わるので、日本のように組織をかばうこともない」

――日本のテレビ局の改善すべきところは。

「中途採用を増やし、不祥事を隠しにくい体質にすべきだ。それから放送局の仕事は、海外に製品を輸出するメーカーなどと違って、もっぱら国内向けだ。外部の価値観を身につけにくい。だから複数の放送局が合同研修を行うなど、なるべく外に出る機会を増やすべきだ」

――話を伺っていて日本のテレビ局とBBCは、かなり違う印象を受けたが。

「放送うんぬんの前に、文化の違い、特に教育の差がある。例えば大学生のエッセー(リポート)でも、日本は出典などの表記があいまいだが、イギリスでは、どの文献から引用したか、きっちり書くよう教え込まれる。つまり引用や参照について、厳しい教育を受けており、放送局に入る前に、捏造などを起こしにくい人間になっているといえるかもしれない」

はら・まりこ 慶応大学文学部卒。テレビ朝日にアナウンサーで入社。1988年、BBCワールド・サービスに派遣され、日本語部プロデューサー(在ロンドン)を3年間担当。帰国後はテレ朝で報道局ディレクターを務める。同局退社後、イギリスのケンブリッジ大学大学院に留学。専門は社会人類学。東京都出身。

ネット革命が促す世界のメディア再編

日本経済新聞20070509

カナダの金融情報サービス大手、トムソンが英ロイターと経営統合交渉に入り、米ニューズ・コーポレーションが米ダウ・ジョーンズ買収を提案するなど、欧米メディア業界で新たな再編の動きが広がっている。米国では先月、不動産を本業とする富豪による新聞グループ大手トリビューン買収が決まったばかりだ。 

再編の動きの背景には、グーグルなどインターネット企業が台頭する一方で新聞や放送といった既存メディアの販売・広告収入が低迷しているという構造変化がある。既存メディアの収益力低下や株価の低迷が新たな再編の引き金になっている。ロサンゼルス・タイムズなどトリビューン傘下の日刊紙や、ダウ・ジョーンズが発行するウォールストリート・ジャーナルなど、新聞の部数減少は米欧で特に目立つ。一方、高速通信インフラの普及などにつれてインターネット広告の市場は拡大している。金融情報サービスも家庭向けに展開できるようになり、トムソンがロイター買収を狙うのは、この分野でトップのブルームバーグを追い抜くためだといわれる。 

新しいメディアや広告媒体として台頭したインターネット企業間の競争も激しい。米マイクロソフトと米ヤフーの提携交渉も先週、表面化した。マイクロソフトのネットサービス「MSN」は赤字、老舗のヤフーも昨年から減益が続き、グーグルへの対抗策を迫られていたからだ。 新旧合わせたメディア企業の世界的な再編のうねりはさらに続くだろう。メディアの再編と変貌(へんぼう)は、技術革新に伴う企業の消長という視点だけでなく、民主主義の基盤としてのメディアの独立性や情報の質という視点からも、広く社会全体で考えるべきテーマである。 

企業再編では収益性を優先しがちだが、メディアの重要な課題は言論・報道機関としての独立性、安定性をどう確保するかだ。ダウ・ジョーンズではオーナー家が大きな議決権を持ち、ロイターでは「発起人会社」の承認を必要とするなど、買収防止策を講じてきた。それは既得権を守る狙いではなく、言論や報道の自由を守るためのものである。 

インターネットの普及により、ブログなど個人が情報を発信できる機会も広まった。既存のマスメディアだけが言論や表現の自由を担保できるわけではなくなった。ネット革命という技術革新の中で、どういう情報サービスが収益性を保ちつつ、民主主義を担うメディアの役割を担えるのか。一連の再編の動きは、これからのメディアのあり方も問う。

首相と靖国 もう「参拝せず」と明言しては

毎日新聞 2007年5月9日 0時11分

安倍晋三首相が4月21~23日の靖国神社春季例大祭に「内閣総理大臣」名で「真榊(まさかき)」と呼ばれる供え物を奉納していたことが明らかになった。首相は奉納費として私費で5万円を納めたという。現職首相の奉納は中曽根康弘首相以来のことだ。

今回の一件で分かった一番のポイントは何か。安倍首相は自身の靖国参拝について「行くか、行かないか、行ったかどうかも明言しない」という戦略をとっている。だが、供え物の奉納がそうであったように、仮に首相が極秘に参拝したとしても秘密を保持し続けられるものではなく、いずれは公になるということではなかろうか。つまり、首相の「あいまい戦略」は現実にはなかなか通用しないということだ。

今度の奉納は靖国神社側の打診を受けたものだという。安倍首相は自身の参拝を見送る代わりに供え物をし、神社側や首相の靖国参拝を求める勢力に配慮したと見ることもできる。ただ、もしそうだとしても、その趣旨を首相が説明すれば、参拝しない意思を明確にすることになり、参拝支持派の反発を招く恐れがある。一方、中国などの反応を考慮すれば「奉納もしたし、参拝もする」とも言えない。今回の件に関しても首相はだんまりを決め込むのはそのためだろう。

裏を返せば、あいまい戦略は結果的に首相の行動を縛り、内外への説明の機会も奪っているのである。それは多くの人たちには中途半端で姑息(こそく)な対応と映るだろうし、首相の本意でもあるまい。

私たちは首相が就任直後、持論を抑制し、日中、日韓首脳会談を再開させた点を高く評価した。しかし、両国との間にある氷はまだ解け切ってはいない。今回の奉納は温家宝・中国首相の訪日直後である。首相が何も説明をしないと、中国、韓国に再び疑心暗鬼ばかりが募る可能性も否定できない。

従軍慰安婦問題を思い出そう。安倍首相は、旧日本軍の関与を認めた河野(洋平官房長官=当時)談話の見直し論に、いったんはくみするような姿勢を見せながら、日米間がぎくしゃくすると一転、火消しに回った。その経験は首相にも反省として残っているはずだ。中途半端な対応はかえって話をこじらせるだけだ。この際、「参拝しない」と明言するのが最も分かりやすいのではなかろうか。

靖国問題は依然、決着がついていないことも改めて指摘しておく。外交関係だけでない。参拝のみならず、首相の肩書での奉納は憲法の政教分離の原則に照らして問題はないのか。明確な結論が出ているわけではない。折しも日本遺族会は靖国神社に祭られているA級戦犯分祀(ぶんし)などの検討を始めた。A級戦犯合祀に対し、昭和天皇が不快感を示したという証言・資料が昨年来相次ぎ、遺族会にも分祀容認論が広がっているという。

いい機会だ。政界も忘れ去ったようになっている新たな国立追悼施設建設などについて、議論を再スタートさせるべきである。

首相と靖国―抜け出せぬジレンマ

朝日新聞20070509

靖国神社の春季例大祭で、安倍首相が神前にささげる供え物を出していた。「真榊(まさかき)」と呼ばれるサカキの鉢植えだ。「内閣総理大臣」という木札が付けられていた。首相の奉納は中曽根元首相以来約20年ぶりのことである。政府は、首相のポケットマネーで払い、私人としての事柄だから、「コメントすべきことではない」(塩崎官房長官)という立場だ。首相の肩書で、神事に使う供え物を奉納し、神社側も「お気持ちを示されたのだと思う。ありがたい」と歓迎している。これが「私人としての事柄」とは、なんとも奇妙な話である。

政教分離の原則から疑問があるのはもちろんのこと、忘れてならないのは靖国神社の性格だ。靖国神社は、隣国を侵略し、植民地化した戦前の軍国主義のシンボルだ。その歴史はいまもなお神社内の戦争博物館「遊就館」で正当化されている。さらに、先の大戦の責任を負うべき東条英機元首相らA級戦犯を合祀(ごうし)したことで、天皇の参拝も75年を最後に止まり、首相の参拝をめぐって国論も分裂した。

首相名で供え物を奉納することが政治色を帯びないわけがない。そのことは首相もわかっているだろう。本当は参拝したいが、中国や韓国との外交問題になるので控えている。一方で、参拝しないままでは本来の支持層である参拝推進派に見限られてしまう。せめて供え物ぐらいはしておきたいということではないか。

こうしたどっちつかずの態度をとるのは、いまに始まったことではない。昨年の春季例大祭のころは、自民党総裁選を前に、靖国神社参拝が争点になっていた。当時小泉内閣の官房長官だった安倍氏は「外交問題化している中、行くか行かないか、参拝したかしないかについても言うつもりはない」と述べた。その実、ひそかに靖国神社に参拝していたのだ。

安倍首相は就任直後に中韓両国を訪問し、両国との関係を劇的に改善した。その後、靖国神社に参拝していない。首相は慰安婦問題でも、日本の責任をあいまいにする発言をして国際社会から批判されると、訪米時にブッシュ大統領に謝罪した。

こうしたことが保守の支持層からの批判を招き、ここにきて「安倍氏の登場が保守つぶしの巧妙な目くらましとなっている」(評論家の西尾幹二氏)と嘆かれるほどになった。首相としては気が気ではあるまい。だが、首相がかつて掲げた勇ましい右寄りの課題は、実際に政権を担う身になると、実行することはむずかしい。

国際社会の一員としての日本の地位や9条の改憲を望んでいない世論などの制約の中で、ナショナリズムの地金を小出しにする。そんなやり方を続ける限り、首相がジレンマから抜け出す道はない。