NHK裁判報道で見落としてはならないこと
ゲスト:山田健太氏(専修大学助教授)
東京高裁は先月29日、NHKに対し、不当に番組内容を改編して精神的苦痛を与えたとして、女性国際戦犯法廷を主催した「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)への200万円の損害賠償を命じる判決を言い渡した。
この裁判の結果についてはメディア各社がそれなりに大きく紙面や時間を割いて報じてはいるが、期待権や編集権に関わる諸問題が大きく取り上げられている割には、どうも歯切れが悪い点が一つ目につく。それは、結果的に裁判では明らかにならなかった、「政治介入の有無」と「そもそもなぜNHKは政治介入を許してしまうのか」という最も基本的な問題だ。そこをきちんと検証しなければ、この問題は単に「取材者は取材協力者にいたずらに期待を持たせるようなことを言ってはいけませんよ」という取材上のマナーを一つ規定したに過ぎないものに矮小化されてしまう恐れがある。
この裁判では、予算や人事を国会に握られているNHKの上層部が、「説明」と称して、大挙して有力政治家に対して陳情を行っている実態が明らかになった。そもそも国会の場で公然と議論をすべきNHK予算の中身を、なぜ事前に密室の中で説明して回ることが問題にならないのかも解せないが、本来政治を監視しなければならない立場にある報道機関が、政治家に何かを「お願い」しなければならない立場にあるとすれば、それ自体が重大な問題だ。その過程でNHKがさまざまな政治的圧力に晒されることは誰の目にも明らかだからだ。今回の判決では具体的な圧力の存在までは証明されなかったとなっているが、それはそもそもこの裁判の中心的な争点ではなかったし、それが裁判では「具体的」には立証されなかったからといって、あたかも政治的圧力がなかったとするかのような一部の報道は論外である。
今回名指しをされている安倍晋三氏や中川昭一氏は、今や現職の首相と与党の政調会長という日本の最高権力者の地位に就いている。その有力政治家らによって行使されたとされる影響力が、「具体的」なものだったのか、あるいは、NHK側が「具体的ではない」政治家側の意図を「忖度」して自主的に番組内容を改編したのかの違いは、この際ほとんど意味をもたない。要は、NHKの政治に対する構造的とも言える脆弱性故に、実質的な編集権を自ら放棄し、結果として視聴者の知る権利が損なわれたこと、そしておそらく同様のことが日常的に行われているにちがいないことこそが、ここでは最大の問題なのだ。
メディアと政治の関係に詳しい山田健太氏は、今回の問題の本質は政治の言論介入が強まる中、「メディアが過度に防御的になっており、逆にそれが権力に対する脆弱性を高めていること」であると主張する。そうした上で、「NHKは単に普遍性や中立性を謳うだけでなく、BBCのように多様性を広げる方向へ外部からの力をもって変えていく必要がある」と、この裁判の結果が具体的な行動につながることの重要性を説く。
また、この裁判が露わにしたもう一つの問題として、山田氏は他の主要メディアがこの裁判の本質から意図的に目をそらしたかのような報道をしている、いわばメディア業界全体の体質問題をあげる。再販、記者クラブ、税制面での優遇等々、数え上げたらきりが無いほど多くの特権を享受するメディアが、知らず知らずのうちに既得権益者として完全に政治に取り込まれているのではないかとの懸念は色濃く残る。
山田氏はまた、「強者が弱者をいじめる」かのような形で繰り広げられる昨今の高額の名誉毀損裁判の実態にも懸念を表明する。此度のNHK裁判は市民団体が巨大メディアを訴え勝訴する異例のケースとなったが、損害賠償額に応じて訴訟費用が増額する日本の裁判制度の特徴故に、政治家や大企業ばかり次々とメディアを訴え、一般市民は泣き寝入りするしかないというお決まりのパターンは、権力のメディア介入をより容易にしてしまっている。雑誌の電話取材に応じたフリージャーナリストが、オリコンから5000万円の損害賠償訴訟を起こされたケースも、その一例と言えるだろう。
ことほどさようにメディアをめぐる環境は厳しくもあり、また深刻でもある。しかし、メディアの荒廃が市民社会全体に多大な悪影響を及ぼしていることが否定できない以上、この問題を放置することはできない。そのためにはNHK裁判で明らかになった問題を一つ一つ検証し、それを解決に向けた行動へと結びつけていくことが重要となる。
今週のマル激では、NHK裁判が明らかにしたNHK問題とは何なのか、メディアの構造問題とは何なのか、メディアと政治の関係は今どうなっているのかを、山田氏とともに考えた。
Wednesday, October 17, 2007
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